ピアノって、不思議な楽器です。
一度習い始めて、ある程度のところまで行くと、
そのあとはきっと、生涯の友となります。
もちろん他の楽器でもそうなんだ
という方もおられるでしょう。
他の楽器でも、それはそうなんでしょうけれど(-_-;)
でも、でも、ピアノは、その度合いが深い
と感じるのは、わたしだけでしょうか。
わたしの、かれこれ半世紀を超える人生を考えてみると、
その感を強くするものであります(笑)
他の楽器といいますと、わたしも多少、
他の楽器に触れたことがありました。
小中学校で習ったハーモニカやたて笛などは別として、
中学では部活でブラスバンド部に所属。
県のコンクールで、忘れもしない、
ドボルザークの「新世界」で銀賞獲得
わたしはクラリネットで、ほんの一小節、ソロも受け持ちました(^_^;)
大学に入ってからは、フルートも個人的に練習してみたり。
管楽器は好きでしたねー。
クラリネットのマウスピース、
ヤマハじゃなく高いバンドレンだったか、
背伸びして楽器店で買ったりしたなー。
だけど、そういう楽器で食べていけるわけじゃなし、
いつしかまったくやらなくなってしまいました。
鍵盤は、ピアノのほかにエレクトーンも結構やったんですよ。
娘のために、いずれは使わなくなるエレクトーンを
200万だったか300万?出して買ってくれた親に、
いまさらながら感謝です(;_:)
もちろん、ピアノも、海のものとも山のもとのも知れないのに
4歳のわたしに買ってくれた両親。
戦中を、今でいう中学生で育った世代の両親は
自分たちの果たせなかった夢を
娘に託してくれたのでしょう。
わたしがピアノを習い始めた昭和30年代なんて、
地方で、ピアノを持ってる子供なんて本当にいなかった。
当時問屋を営んでいて、多少羽振りがよかったので
えい!とばかりに買ってくれたんだと思います。
爾来、半世紀
クラリネットも、フルートもエレクトーンも、
ことごとくやめてしまい、
楽器は人に譲ったり売ったりしてしまったというのに(泣
ピアノ。
ピアノだけは、どこまでも持っていきました。
結婚して、子供も育てて、結構あちこち転居もしたのですが、
そのたびに、ピアノはあちこちに持って移りました。
親が最初に買ってくれたピアノではなく、
それは実家に置いたまま、
わたしが結婚してから買ったものなのですが
それをもって、どこに住んでいても、
通える先生を見つけて、
ピアノを習い続けていました。
東京に住むようになった12年ほど前から、
ご縁が重なり、ある文学館で働くことになり
そのときは、働きながら日大の学芸員コースを通信で取って
一応学芸員として10年ほど勤めましたが、
その間も都内のピアニストの先生に師事していました。
まあいろいろいやなこともあったりして、
文学館を辞したいま、
おかげで、いままた、人様にお教えすることができます。
つたない指導かもしれませんが、
わたしのちょっとした人生経験から生まれたものも、
その指導のなかに盛り込めたらと思っています。
ピアノは不思議な楽器です。
一度、その深さを知った人のこころを
とらえて生涯離しません。
お子様にピアノを習わせてるお母様たち、
どうぞ、お子様たちが、せめてそこまで進むよう、
フォローしてあげてください。
お子様のそのあとの人生が、
きっとピアノの上に、大小の花を咲かせることでしょう。
また、成人してのち、新たにピアノを習い始めた方々、
皆さんは、ピアノ道(?)という、険しくも楽しい、
長い長い、一生の道のスタートに立たれました。
途中で止めたくなることや、
いろいろな事情で、中断せざるをえない時期もくるかもしれません。
でも、こころの中で、また再開しようと思っていさえすれば、
必ずまた、ピアノがあなたに戻ってきます。
そしてまた、そこから始められたらよいことです。
ピアノと生きる、その生涯の道は、
あなたの目がいつか永遠に閉じるときまで
楽しく、また厳しく、続いていくと思います。
☆猫ブログは下記をどうぞ☆
HOMEなな猫ほーむ
一度習い始めて、ある程度のところまで行くと、
そのあとはきっと、生涯の友となります。
もちろん他の楽器でもそうなんだ
という方もおられるでしょう。
他の楽器でも、それはそうなんでしょうけれど(-_-;)
でも、でも、ピアノは、その度合いが深い
と感じるのは、わたしだけでしょうか。
わたしの、かれこれ半世紀を超える人生を考えてみると、
その感を強くするものであります(笑)
他の楽器といいますと、わたしも多少、
他の楽器に触れたことがありました。
小中学校で習ったハーモニカやたて笛などは別として、
中学では部活でブラスバンド部に所属。
県のコンクールで、忘れもしない、
ドボルザークの「新世界」で銀賞獲得
わたしはクラリネットで、ほんの一小節、ソロも受け持ちました(^_^;)
大学に入ってからは、フルートも個人的に練習してみたり。
管楽器は好きでしたねー。
クラリネットのマウスピース、
ヤマハじゃなく高いバンドレンだったか、
背伸びして楽器店で買ったりしたなー。
だけど、そういう楽器で食べていけるわけじゃなし、
いつしかまったくやらなくなってしまいました。
鍵盤は、ピアノのほかにエレクトーンも結構やったんですよ。
娘のために、いずれは使わなくなるエレクトーンを
200万だったか300万?出して買ってくれた親に、
いまさらながら感謝です(;_:)
もちろん、ピアノも、海のものとも山のもとのも知れないのに
4歳のわたしに買ってくれた両親。
戦中を、今でいう中学生で育った世代の両親は
自分たちの果たせなかった夢を
娘に託してくれたのでしょう。
わたしがピアノを習い始めた昭和30年代なんて、
地方で、ピアノを持ってる子供なんて本当にいなかった。
当時問屋を営んでいて、多少羽振りがよかったので
えい!とばかりに買ってくれたんだと思います。
爾来、半世紀
クラリネットも、フルートもエレクトーンも、
ことごとくやめてしまい、
楽器は人に譲ったり売ったりしてしまったというのに(泣
ピアノ。
ピアノだけは、どこまでも持っていきました。
結婚して、子供も育てて、結構あちこち転居もしたのですが、
そのたびに、ピアノはあちこちに持って移りました。
親が最初に買ってくれたピアノではなく、
それは実家に置いたまま、
わたしが結婚してから買ったものなのですが
それをもって、どこに住んでいても、
通える先生を見つけて、
ピアノを習い続けていました。
東京に住むようになった12年ほど前から、
ご縁が重なり、ある文学館で働くことになり
そのときは、働きながら日大の学芸員コースを通信で取って
一応学芸員として10年ほど勤めましたが、
その間も都内のピアニストの先生に師事していました。
まあいろいろいやなこともあったりして、
文学館を辞したいま、
おかげで、いままた、人様にお教えすることができます。
つたない指導かもしれませんが、
わたしのちょっとした人生経験から生まれたものも、
その指導のなかに盛り込めたらと思っています。
ピアノは不思議な楽器です。
一度、その深さを知った人のこころを
とらえて生涯離しません。
お子様にピアノを習わせてるお母様たち、
どうぞ、お子様たちが、せめてそこまで進むよう、
フォローしてあげてください。
お子様のそのあとの人生が、
きっとピアノの上に、大小の花を咲かせることでしょう。
また、成人してのち、新たにピアノを習い始めた方々、
皆さんは、ピアノ道(?)という、険しくも楽しい、
長い長い、一生の道のスタートに立たれました。
途中で止めたくなることや、
いろいろな事情で、中断せざるをえない時期もくるかもしれません。
でも、こころの中で、また再開しようと思っていさえすれば、
必ずまた、ピアノがあなたに戻ってきます。
そしてまた、そこから始められたらよいことです。
ピアノと生きる、その生涯の道は、
あなたの目がいつか永遠に閉じるときまで
楽しく、また厳しく、続いていくと思います。
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